以上が本書の主張である。そして、この主張を裏付ける例として、日本が買い込んだ巨額の米国国債が、米政府のドル安誘導によって、95年の円高ピーク時には、約7割も価値を失ったことを挙げる。著者は、「極論すれば、アメリカが債務を負う相手国の国力を殺そごうと思えば、為替相場をドル安に誘導するだけでこと足りる」と言う。
本書を読んで、「悪いのは米国だ、米国がドルの罠わなを仕掛けて、日本を破滅させた」と短絡的に思いこむ人が増えるのではないかと、いささか心配になる。
確かに「マネー戦争で、日本は負けた」ように見える。敗戦とは、恐らくバブルの発生と崩壊、それに続く不況、日本の金融機関のテイタラクを、ひっくるめて言っているのだろう。
しかし、それをすべて米国のマネー戦略のせいにするのは、わかりやすすぎるのではないか。
ドル基軸通貨戦略が米国にあることは、著者の指摘の通りである。だが、そのためには、米国は自由貿易を維持し、国内市場を開放し続けねばならなかった。
一方日本の戦略は、一貫して輸出立国である。それは米国が国内市場を開放し続けることが条件だ。つまり米国がドル基軸通貨戦略をとって米国市場を開放し続けることが、日本の輸出立国戦略にとって、必要条件であった。
そして日本の輸出戦略は、あまりにもうまくいった。増え続ける対日貿易赤字によって米国はドル切り下げか、輸入規制か、二者択一に追い込まれた。日本は米国を保護貿易に走らせないために、ドル切り下げに協力し、稼いだ貿易黒字を米国債購入で還流させ、米国の経常赤字を補填した。つまり日本は輸出立国戦略を貫くため、ドル基軸通貨戦略を支えた。その結果、「貿易戦争」では今も勝ち続けている。
著者はそんなことは百も承知で、あえてこの不幸な構造と、基軸通貨国米国の堕落に気づかせるために、「極論」しているのだろう。本書がベストセラーになり、その目論見もくろみは見事に成功した。が、ドル下落による保有米国債の差損を例に出すなら、逆にドル換算したときの日本の国内総生産(GDP)や国民所得が3倍近くに膨れ上がった差益についても触れないとフェアではない。
(ノンフィクション作家 野口 均)
(日経ビジネス1999/2/8号 Copyright©日経BP社.All rights reserved.)
-- 日経ビジネス
青春とは、まだ何者でもない自分。何者かになろうとするその過程。
夢が浮かんでは萎み、あきらめきれないでブザマにもがき、いつも腹をすかしている季節。
映画はそんな "蒼い時" をスクリーンに刻み、観る者に問いかけてくる。
おまえはいったい誰なんだ ? おまえはそれで本当に良いのかい ?
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経営に役立つ会計とはどうあるべきか。事業を安定軌道に乗せようと思うのなら、数字に明るく、しかも「安定性」を持続する会計でなくてはならない。安定は、「儲け」のなかから出てくるということも覚えておく必要がある。「儲け」るためにはどうすればいいのか。
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